八丁味噌のおいたち

八丁味噌のルーツ

赤味噌と大豆

愛知県岡崎市発祥の八丁味噌。八丁味噌といえば、名古屋めしに代表される「味噌煮込みうどん」や「味噌カツ」「味噌おでん」でも有名ですよね。 日本人はもちろん、今では海外でも多くの人に親しまれている八丁味噌の誕生や歴史についてご紹介します。

八丁味噌

家康生誕の岡崎城より西へ八丁はなれた八町村で、久右ヱ門勝久が味噌の仕込みを始めたのが八丁味噌の始まりと伝えられています。この地方は良質の大豆の産地であっただけでなく、花崗岩質の地盤からは良質の天然水が湧き出し、そして矢作川の水運により吉良地方の塩も入手し易く、味噌造りにとって三拍子揃った素晴らしい立地だったのです。また、温度、湿度などの気候風土も醸造に適していたことも、八丁味噌の誕生の大きな要因になったともいえます。八丁味噌は風味の良さだけでなく、長期保存ができるために携行にも便利であり、三河武士の兵糧としても使われました。そして徳川家康の江戸開府に伴い、関東地方の人々に親しまれるとともに大名の参勤交代により広く全国にその名を知られるところとなりました。

戦時中

味噌造りの伝統は代々受け継がれ、明治25年に宮内省への納品が始まり、34年12月には正式に御用達の栄に浴することになりました。戦時下では大豆不足による減産という大打撃を受け、味噌は長期の仕込みを必要とすることから、生産面での回復には苦労を強いられました。

赤だし味噌

時代の嗜好に合い、しかも八丁味噌の味、香を持った便利な漉味噌を、という考えから造られた赤だし味噌は、昭和32年に関西方面へ出荷されたのが始まりです。好評を得た赤だし味噌は、昭和37年頃から全国的に広がっていきました。