八丁味噌の豆知識

八丁味噌の歴史

豆知識のイメージ

江戸時代から続く伝統食品である八丁味噌。宮内庁御用達制度が廃止になった現在でも納入されていることもあり、贈り物、贈答用としても多くの人に喜ばれています。また、八丁味噌本社事務所と味噌蔵は国の登録文化財となっています。ここでは歴史ある八丁味噌の豆知識をご紹介します。

呼び名の誕生

明治11年9月、早川休右衛門が第十一区の区長あてに書いたと思われる「淵源」という文書のなかに「近傍ニテハ八丁味噌ト称シ遠国ニテハ三河味噌ト唱フ」という言葉があります。これから、昔は固有の商品名を付けずに地名を付けていたと思われます。また、安政4年に江戸役人が書いた「三河みやげ」という本にも八丁味噌の言葉があるので、幕末には八丁味噌の名称はかなり広い範囲に知られていたといえます。

宮内省御用達

明治25年、宮内省への八丁味噌納入、そして9年後の34年12月には正式に宮内省御用達となりました。ちなみに、「宮内省御用達」という制度は昭和29年になくなりました。

ドレスデン市万国衛生博覧会

明治44年(1911)ドイツ帝国ドレスデン市で万国衛生博覧会が開かれました。日本も八丁味噌を出品し、三等賞を受け記念碑を贈られました。同博覧会理事会が最も注目したのは、一ヶ月余にわたる日本からの長い航海にも関わらず、八丁味噌の品質には何の異常もみられなかった点です。当時は、日本から送られる味噌がヨーロッパに着く頃には必ず腐敗、あるいは変味しているということでしたので、過酷な気候条件にも変質しない安定した八丁味噌の品質が認められた結果といえます。

南極観測

日本学術振興会南極地域学術観測隊の携行食品として、昭和31年11月の予備観測から37年4月まで、八丁味噌が毎回使用されました。その後も、52年に第十九次南極観測隊にも使用されました。